このLOVEHEARTS STORYは、院長池田優子が、その生い立ちから医師としての道を歩むまでの紆余曲折の半生を、ノンフィクションライターが綴ったものです。 2002年に発刊された本ですが、多くの女性に勇気を差し上げることができればと思い、ここに掲載させていただきます。

形成外科医への道

医学部生は卒業論文がない代わりに、医師国家試験に合格せねばならない。
医学部を卒業しても国家資格をとらないと医師にはなれない(2001年現在、約95パーセントが合格する)のである。
それから、それぞれが各々の考えにしたがって医局の志望を提出するのだが、なんといっても"花形"は心臓外科。
高度な知識と技術を要求され、直接的に人間の命を救う手術が多いため、どこの医学部でも優秀な学生が集中する。
ご想像の通り、心臓外科は急患が多いため、医師の勤務も過酷だ。
「卒業後は2年の臨床研修期間があるのですが、この研修だけでも心臓外科と他の医科との差はハッキリ出ます。
1年の半分くらいは病院から出られず、ときには1週間連続で病院に泊まりこみなんてこともありますから、知識と技術だけでなく体力もないとつとまりません」
あらゆる欲望を断って勉強に集中しただけあって、医学部でも優秀な成績をおさめていた池田は、当然のように心臓外科を志望した。
「とにかく、できる限り人のために尽くしたいという気持ちでいっぱいでした。
心臓外科の教授は立派な方で、わたしも尊敬していました。
じっさい、入局決定の直前まで心臓外科を志望していたんです。
父もすでに教授のもとを訪ね、『娘をよろしくお願いします』とあいさつを済ませていました」
 ところが入局寸前になって、池田は突如"鞍替え"する。
「娘にことわっておこうと思い、10歳になったばかりの果菜子にこう聞いたんです。
『ママ、とっても忙しくなって、なかなかお家に帰ってこられなくなるから、果菜子はジージ(池田の父親)とバーバ(母親)といっしょに暮らそうか?』 いつもなら、大丈夫!なんて強がる果菜子が、このときは『ママと離れたくないよ!』
って大泣きしちゃって......心が揺れました。
が、心臓外科への入局がほぼ決まり、医師としての誇りを感じていたころでしたので、果菜子の涙を見ても心臓外科を諦める気にはなれませんでした。
しばらく悩んだ末に、当時東京医科大学で内科の医局長をしていた兄に相談しようと思い、電話をかけました。
すでにお話ししたように、年齢の違いからか、それまで兄とはあまり真剣に話しこんだりしたことはありませんでしたので、とくに期待はしていなかったのです......。
ところが、兄はわたしにこう言いました。
『初心を忘れてるんじゃないのか?自分がやりたいことをやるためだけに医学部に入ったんじゃないだろう?
果菜子といっしょに生きていくのが優先なんじゃないのか』
ショックを受けるとともに恥ずかしさがこみ上げてきました」
離婚を決めて実家に帰るとき、彼女はすでに1度、娘を手放す決心をしたのだった。
あのとき思いとどまることができたのは、母親の汎子さんの一声があったからこそだ。
そしていま、再び大切なものを切り捨てようとした池田を目覚めさせたのは、兄の泰彦さんだった。
大切な決断をせねばならないときに、いつも助けてくれる家族がいることは幸せなことだ。
結局、入局決定まであと1週間というギリギリのところで、池田は終始心配してくれた心臓外科の教授に詫び、形成外科への入局届を提出した。
「人を救いたいという気持ちに変わりはありませんでした。けれども、わたしは医師である前に親です。
娘を幸せにすることはわたしの人生そのものなのです。
急患がしょっちゅう入る心臓外科のような医局では、娘のことを考えてやる余裕もありません。
多くの方々にご迷惑をおかけしてしまいましたが、ああするしかなかったのです」
池田が形成外科を選んだ理由は、"医師として"ほめられたものではないかもしれない。
しかし"人として"賞賛されてよいのではないか。
人は自分を必要としてくれる人のために生きているという事実を否定することはできない。
形成外科の道を選んだいま、彼女は自分の役割について、こう語る。
直接的に人の命を救うことだけが医師の仕事ではない。わたしは人生をよりすばらしくするための医師になる」