このLOVEHEARTS STORYは、院長池田優子が、その生い立ちから医師としての道を歩むまでの紆余曲折の半生を、ノンフィクションライターが綴ったものです。 2002年に発刊された本ですが、多くの女性に勇気を差し上げることができればと思い、ここに掲載させていただきます。

試験勉強の毎日

「不安な苦闘の生活の嵐の中に投げ込まれて、荒々しく苦しい経験に教えられて、ちょうどいまわたしが、その中にあって愚痴をこぼしているような平穏を切望するようになったとすれば、どんなによかったことだったろう」
(C・ブロンテ『ジェイン・エア』、中央公論社)

 池田が2度目の大学生活を送った、東京都・三鷹市にある杏林大学医学部を訪れてみた。
JR吉祥寺駅前から出たバスは、井の頭公園の鬱蒼と茂る森の中を通り抜けていく。
ひたすらまっすぐに伸びる道を走ることおよそ20分、千川を越える橋を渡るとキャンバスが見えてくる。
 近代的な校舎の入り口には新芽をつけはじめた木々が立ち並んでいる。
住宅街にあるため、意外なくらい静かで環境が良い。
木々のアーチをくぐり抜けながら、誇りに満ちあふれた顔で池田が歩く姿を思い浮かべると、思わずにやけてしまった。きっと周りから見ても"カッコイイ"医学部生だったのではないか。
その新しい環境のなかで、彼女は日大時代とはうって変わって、学部生の6年間はかなり真面目に医学に取り組んだ。
「定期試験と6年生の国試のときは、大学受験の勉強をしていたときとあまり変わらない生活でしたね。
医学部の勉強って本当に大変だったんです。毎日覚えることやら用意しておかねばならぬことやらで手一杯。
昔みたいに六本木に出歩いたり、オトコにかまけてる暇はありませんでした。
よく覚えているのは学部4年生のときの年度末試験。
まるまる3週間も試験が続くうえに30~40科目もパスしなきゃいけないんです。
どんなに切り詰めても2時間くらいしか睡眠がとれないので、肉体的にもボロボロ。
慢性的な睡眠不足で疲労がたまり、朝方は吐き気をもよおす。
基本的に"ナチュラル・ハイ"の状態なんです。このときばかりは果菜子の世話どころではなく、精神的にも追い詰められ、神経が過敏になっているせいで、 ちょっとした刺激でも、訳もわからず涙があふれてくる始末。
そんなとき、わたしたち家族を支えてくれたのが果菜子の小学校の同級生Aさんと、そのお母様だったのです。
医学部に合格したあと、今住んでいる渋谷区・南平台のマンションに引っ越してきたのですが、このマンションにたまたま果菜子の小学校の同級生Aさんが住んでいらっしゃいました。
Aさんのお母さんには、日ごろから果菜子のことを気にかけてもらいありがたく思っています。
4年生の試験のときには、まる3週間、果菜子の面倒を見ていただきました。
おかげさまで果菜子も寂しい思いを味わうことなく、わたしもなんとか勉強に集中して乗り切ることができました。
自分の親はもちろんのこと、わたしの人生はいろいろな人に支えられているということを実感させられました。
人間は1人ではなにもできない......気づくのが遅すぎたくらいです」
 そういった修羅場をいくつもくぐりぬけたせいか、彼女は大学でも人望が厚かったようだ。
同級生の1人が言う。
「池田さんは年が上だったこともあり、同級生約100人のなかでも飛び抜けて目立っていましたし、良いリーダーだったと思います。
わたしたちの代から医師国家試験の合格率が格段に伸びましたが、それはやはり全体のムードが良かったからでしょう。
『若い人は頑張ることを恥ずかしがる』とよく言われます。
ところが、池田さんは他人の目を気にせず一直線に頑張る。
そんな彼女に触発されて、頑張ってたヤツがかなりいたと思います。
そういう意味で池田さんの周囲に対する影響力はけっこう大きかったんじゃないかな」