このLOVEHEARTS STORYは、院長池田優子が、その生い立ちから医師としての道を歩むまでの紆余曲折の半生を、ノンフィクションライターが綴ったものです。 2002年に発刊された本ですが、多くの女性に勇気を差し上げることができればと思い、ここに掲載させていただきます。

いばらの道へ

「検事のほかにもいろいろな可能性を考えましたが、医学の道を志そうとだけは考えませんでした。
わたしの家系には医者が多いので、パッと思いつく職業といえば医者でしたが、逆に医者の多忙な実態を身近に見てきただけに、敬遠していた部分もありましたね。
それに、医学部にいけば受験勉強を含めて、稼げるようになるまで最低でも10年はかかるわけです。
最終的に医者として成功し、10年間の穴を埋めることができる可能性はあるにしても、10年間は貯金と前夫から送られてくる果菜子の養育費で生きていかねばならないことになります。
そのうえ医学部は高額な学費を支払わねばならないため、一時的とはいえ、ふたたび親の世話にならねばなりません。
誰もが思うことでしょうが、やはり20代後半にもなって親の世話になるのはイヤなものです。
なにより医学部受験からわたしの心を遠ざけたのは、果菜子の存在でした。
最低限度の6年間、場合によってはそれ以上も、受験勉強や大学の授業に集中しながら育児を続けなくてはいけないわけです。
医学部に合格することじたい難しいのに、育児と両立するなんてどだい無理だと思いました」
確かにその通りかもしれない。それだけのリスクがあるのをわかっていながらどうしていばらの道を進んだのか。
「大まかにいえば、理由は2つあります。1つは娘のこと。
総額300億円という資産家である父親から、わたしの判断で果菜子を引き離したわけですから、できることなら精神的にも物質的にも満足させてやりたいと思っていました。
医師の収入なら多少なりともそれができるのではないかと。
ただ、果菜子が元気に育ってくれた今となっては、つまらないプライドだったと思いますけどね。
もう1つは父親のひとこと。これには大きく心を揺さぶられましたね。
たったひとこと、『医学部、行ったらいいんじゃないかな』。
たったそれだけ、と思われるでしょうが、十分でした。
すでにお話したように、父はわたしが小さかったころから休みを見つけてはポルシェに乗せて連れまわし、東京の文化を教えてくれたり、美味しいものを食べさせてくれたりしました。
うるさくわたしを叱ることもなく、勉強しろとも言いません。
他人から見たら子供を甘やかしすぎだといわれるかもしれませんが、父は生きていることの喜びを教えてくれた人。
母に『鳴かぬなら、鳴くまで待とう』の人だと評されたのんびり屋の父が、医学部に行くことを勧めるなんて予想もしていなかったことでした。
『今までなにも言わなかったけれど、父はわたしが医師になることを望んでいたんだ...』
産婦人科医として数えきれないほどの命を請け負い、気が休まることがない人生を送りながらも、生の喜びを教えてくれた父。わたしは親として果菜子になにを教えられるだろうか......。
残念なことだけれど、わたしが果菜子に教えることができるのは、自分の目で見たもの、自分の身体で感じたことだけ。
開業医の子に生まれ、医師になるための教育を受け、医師の道から目をそむけ、兄が医師になるのを目の当たりにしてきたわたしに、たとえわずかでもできることがあるとするなら――
それはやはり医師になることではないだろうか。確信ではありませんでした。
しかし、今のわたしなら、途中で目をそむけることなく医師をめざせるのではないかと思ったんです」