このLOVEHEARTS STORYは、院長池田優子が、その生い立ちから医師としての道を歩むまでの紆余曲折の半生を、ノンフィクションライターが綴ったものです。 2002年に発刊された本ですが、多くの女性に勇気を差し上げることができればと思い、ここに掲載させていただきます。

果菜子はぜったい渡さない!

「決意とは、果菜子を夫に託すことでした......
夫がもう1度やり直そうというなら、果菜子のためにわたしの人生は捧げよう。
離婚しかないのなら、果菜子の幸せのために、果菜子の前から姿を消そう。そう決めたんです。」

果菜子は目に入れても痛くないくらい愛してる。
ぜったいに幸せにしてあげたい。
果菜子にはわたしのような人生を送って欲しくない。
お母さんは高校2年生で経験したはじめての恋愛のときから、楽しいことだけを追い求め、人生を食いつぶすように生きてきました。
お母さんは悔しいけれど、本当に悔しいけれど、果菜子に幸せを保障してあげられないの。
ほんとうは、ぜったいに幸せにしてあげたいのよ。
果菜子のパパならたくさんの資産を持っているし、優しいママを探してくれるはずだから。
ほんとうは、ぜったいに幸せにしてあげたい。

果菜子のことを考えると涙が止まりませんでした。
本当は果菜子と2人で暮らしていきたいけれど、今でさえ両親の力を借りないと生きていけないのが事実。
親の力を借りれば、当面はやっていくことができるだろうけれど、果菜子が不自由なく暮らしていくための解決策にはならない。
結局、夫に託すことが最善であるように思えました。
果菜子が無邪気な笑顔でわたしを見つめると、心臓が激しく鳴り出すような気がしました。
1度は夫に会うことを決めたものの、なかなか電話をかけることができないまま、あっという間に1週間が過ぎていきました。
これ以上引き伸ばせば、決意が揺らぐかもしれない......覚悟して受話器を取り、夫に伝えました。
「きちんと話し合いましょう」
その週の日曜日、義母の留守を狙い、果菜子を連れて神宮前のビルを訪ねました。
キラー通りで会った夫はひどく元気そうでした。
この数ヶ月間の生活で、カガミを見るのも嫌なくらいに疲れ果てた顔をしたわたしとは比べものにならないくらいに。
自分だけが逃亡生活を送っていたことを今更ながらに思い出させられ、ますますみじめな気持ちになりました。
ほとんどがどうでもいいような話だったか、大切なことを話したのにまったく耳に入らなかったのか。
いずれにせよ、夫の話は要するにこういうことでした。
『やり直してもいいけど、離婚するなら2度と果菜子には会わせない』
一見予想通りのようで、実はまったく予想もしなかった答えでした。
夫もいろいろ考えてくれているはず。やり直そうといってくれるか。
もうやり直せないけど、果菜子の将来について相談をするか。
そのどちらかだと思っていました。
それなのに、やり直すかどうかもわたし次第、離婚を選んでも果菜子のことについて口を出す権利はないなんて。
夫はわたしだけが悪いと一方的に決めつけている。
頭が真っ白になりましたが、もう口論する気にはなりませんでした。
『果菜子を置いて帰ろう』
もう夫とはうまくやっていけそうにない。
果菜子の幸せのために、そして新たに始まる自分の人生のために、果菜子を彼に託してこの場を去ろう。
あらためてそう考えました。
果菜子と夫がわたしをみつめるなか、1度大きく息を吐き、意を決して古河の母に電話をかけました。
『ママ、あたし果菜子を置いてこれから帰ります』
『置いてくるってどういうこと?』
『彼とは離婚して、果菜子は彼にまかせる』
『なにを言ってるの、果菜子は連れて帰ってきて』
『彼のほうが果菜子を幸せにできると思うから』
『ダメよ!ぜったいダメ! 果菜ちゃんを置いてこないで......』
そこまで言ったところで母は泣き出しました。
受話器の向こうにいる母が、顔をしわくちゃにして涙を流す姿が目に浮かぶようでした。
高校時代からさんざん母を苦しめておきながら、結婚して他所に嫁いだいま、また昔と同じように母を苦しめているわたし。
わたしには誰1人幸せにしてやることもできないのか。
幸せにしてあげたい。ほんとうに幸せにしてあげたい。
『わかったから、ママ。泣かないでよ。わかったから。果菜子を連れて帰る。わたしが果菜子を幸せにするから』
自信があるわけではありませんでした。
ついさっきまでは夫に果菜子を託すつもりだったのだから。
ただ、母に『連れて帰ってきて』って言われてハッとしたんです。
娘を失う苦痛を感じているのはわたしだけじゃない。母にとっても、果菜子はすでに宝物になっているのだと。
それに『果菜子の幸せ』とは、いったいなんだろう。
幼いころから医師になるための英才教育を押しつけられ、抵抗するように日大芸術学部に進学したわたしは、ほかの誰よりも、価値観を押しつけられることの苦痛を知っているはず。
なのに、わたしはいつの間にか、娘がおカネに困らないことを『幸せ』だと考えていました。
夫にまかせれば、果菜子は幸せになれると思っていました。
けど、違う。
わたしが娘と一緒に生きていられるのは、英才教育を受けたからではないし、実家が開業医だったからでもない。
今こうやってわたしと娘のために涙を流し、いつも自分のことのように心配してくれる両親の『愛』があったからこそなんだ。
果菜子もそれは同じはずだ。
果菜子を託すのが苦渋の決断であることは間違いないけど、いっぽうで楽な手段であることも否めないのです。
果菜子の将来の幸せについて考えることを放棄するのだから。
わたしは親として、娘が自分自身で選んだ幸せを手に入れられるまで見守ってあげようと思いました。
また、愛する果菜子のために生きることこそがわたし自身が求めてきた『幸せのかたち』でもあるのではないか、そのときはじめてそう思いました。
『果菜子は連れて帰るから。心配しないで』
受話器を置いて、わたしはリビングに戻りました。そして、夫に告げたのです。
『果菜子は渡さない』
夫はなにも言いませんでした」