このLOVEHEARTS STORYは、院長池田優子が、その生い立ちから医師としての道を歩むまでの紆余曲折の半生を、ノンフィクションライターが綴ったものです。 2002年に発刊された本ですが、多くの女性に勇気を差し上げることができればと思い、ここに掲載させていただきます。

放浪生活

「わたしたち母子にとって、古河の実家は世界で唯一の避難場所。
しばらく外の世界との関係を絶ち、将来について考えたいと思っていたんです。
ところが、田舎は噂が伝わるのが早い。
実家の外に車を止めておいただけで、わたしが戻ってきているのがバレてしまいます。
とくにウチは産婦人科ですし、近所の奥様方はたいてい患者。
『小林医院』にかんする事情通がそこらじゅうにいるような状態です。
結局、外聞が悪いために、たった1週間で転地せざるをえませんでした。
母の勧めに従って移った先は栃木県・鬼怒川温泉。
犯罪を犯したわけでもないのに実家を追われ、
挙げ句の果てに山中の温泉街にまで子供を連れて逃げてこなければならない自分を情けなく思いました。
電車を降りると、桜の花が満開でした。
涙がにじんでハッキリ見えはしなかったけれど、
鬼怒川の水面に散っていく桜の花びらの美しさは今でも目に焼きついています。
鬼怒川にはおよそ1ヵ月滞在することになるのですが、
そのあいだ、わたしを支えてくれたのが『花の宿 松や』のおかみさんでした。
『松や』は東武鬼怒川線の鬼怒川公園駅前にある、歴史ある旅館です。
まだ歩くことも出来ず歩行器を使っていた果菜子と、
これから先どうなるのかわからず途方にくれていたわたしを励まし、なにからなにまでお世話していただきました」
『松や』には100点を越える竹久夢二(明治~大正時代を生きた詩人・画家)の作品が飾られている。
彼の作品は悲しみと憂いの表情を浮かべた女性の絵ばかりだ。
鬼怒川に逃れてきた池田の表情は、おそらく夢二の描いた女性のごとくだったにちがいない。
おかみさんが熱心に世話をしてくれたのは、そのことと無関係ではないだろう。
その夢二は24歳で結婚し、長男をもうけ、2年後には協議離婚している。
池田が逗留していたのは離婚前だが、生き急ぐ姿はそっくりだ。
彼女が『松や』に流れ着いたのは偶然なのだろうか。
ちなみに、夢二はこの離婚のあとに才能を開花させ、『宵待草』をはじめとする代表作の大半を発表している。
宵待草 (竹久夢二)
待てど 暮らせど
こぬひとを
宵待草の
やるせなさ
こよいは月も
でぬそうな