このLOVEHEARTS STORYは、院長池田優子が、その生い立ちから医師としての道を歩むまでの紆余曲折の半生を、ノンフィクションライターが綴ったものです。 2002年に発刊された本ですが、多くの女性に勇気を差し上げることができればと思い、ここに掲載させていただきます。

なつかしの江古田、渋谷、六本木

日大芸術学部のある練馬区・江古田は芸術関係の大学が集中していることもあり、個性あふれる街だ。
池田の入学した翌年には、江古田文化のシンボルともいえるライブハウス『江古田マーキー』が完成。
同じくライブハウスの『江古田バディ』や、音楽人・演劇人が集まる『どどんぱ』、
喫茶店『カルチェ』『ボニータ』など、70年代後半から80年代の江古田は活気があった。
当然のように、池田もこの街の雰囲気に溶け込んでいった。
小学生のころから親が聴いていたポールモーリアに親しみ、野口五郎の影響でポップスも聴いていた彼女だが、
もっとも傾倒したのはジャズ。
『マーキー』など、名だたるライブハウスが身近に出現したことは、
彼女の感性を"優等生"の小さな檻から完全に解放したことだろう。
 また、江古田近辺に住む他の学生と違って、市ヶ谷に住んでいたために遊びのフィールドは渋谷や六本木にも及んだ。『六本木サテンドール』をはじめとして、ジャズパーティーによく出入りしたという。

  だが、80年代の六本木といえば真っ先に思い浮かぶのはディスコ。
サーファーや金持ちのボンボンたちがこぞって集まったのが、『六本木キサナドゥ(通称キサナ)』。
テニスラケットやサーフボードを積んだポルシェやフェラーリに乗り、
真っ黒に日焼けしたいかにも遊んでいる風の若者が出入りした。
当時、普通の若者たちは渋谷や新宿のディスコで遊んでいたため、
そういった六本木の高級ディスコに出入りしていることじたいが、ある種のステータスになっていたようだ。
遊びたくて仕方がなかった彼女もしょっちゅう出入りした。
だが、1人で会社のうさ晴らしにいくようなネクラではない。
六本木で遊ぶには"それなりの"理由があった。
「学生時代は合コンばっかりしてましたね。慶応ボーイや学習院生、聖マリアンナ大や順天堂大の医学部生など、とにかくいろんなボンボンと遊びました。
日芸のキャピキャピした同級生たちを連れて、毎日のように街に繰り出してました。
当時六本木に遊びに行って、たいした出費がなくて済む1番の方法といえば合コンに参加して
オトコにカネを出させることだったんですね(笑)。
おかげでいいいろんなところに連れて行ってもらいました。
徐々に状況は変わってきてますが、日本ではまだまだ女性が弱い。
ためらうことなく、どんどんダメなオトコを利用するぐらいの気持ちでいなくちゃ」
ごもっともです。