このLOVEHEARTS STORYは、院長池田優子が、その生い立ちから医師としての道を歩むまでの紆余曲折の半生を、ノンフィクションライターが綴ったものです。 2002年に発刊された本ですが、多くの女性に勇気を差し上げることができればと思い、ここに掲載させていただきます。

忘れじの市谷左内町

人間は平穏というもので満足すべきであるといっても、むだなことである。
人間はどうしても活動しなくてはおられぬもので、それに出会わないとすると、自分でそれを作り出すものである」
(C・ブロンテ『ジェイン・エア』、中央公論社)

日大芸術学部に入学した当時、実兄の泰彦さんはすでに東京医大の5年生で、
父親がもっていた新宿区・市谷左内町にある80平米ほどのマンションに住んでいた。
池田はこのマンションに同居することになった。
「年ごろの女の子はおそらくみな同じだと思うんですが、兄とはあまり話をしませんでした。
母親の英才教育を受けて医師をめざしていたという点で、確かに環境は似てるんですが、
兄はわたしよりずっと頭が切れるので、母の言うことをうまく受け流して自由にやっていた気がします。
もともと社交的な人で、スポーツもできたし、世間がイメージするような医学部受験生タイプではありませんでした。
わたしのことには干渉してこなかったから、衝突することもほとんどありませんでしたね」
そんなわけで、兄との共同生活ではあったが制約は一切なく、
引っ越したあとの生活は高校時代とまったく変わらなかった。むしろさらに派手さを増していくのだった。
奔放な学生生活を象徴する事件はいきなりこのマンションで発生する。
まずは次の文章をお読みいただきたい。
「分譲アパートは外濠を見下ろす牛込の坂の上にあって、エレベーターと暖房がついている。
4部屋とバルコニーという間取りはプリンストンのアパートに似ているが、
こちらは鉄筋コンクリート6階建で、家内が見つけてきた区画はその5階にある。
アメリカ式というよりは、まるで香港あたりにでもありそうな建物だ」(「日本と私」、『朝日ジャーナル』連載より)
これは自殺した文芸評論家・江藤淳が1973年に書いたエッセーの一部。
アメリカ留学から帰国した江藤氏が、自宅を購入するために下見をするシーンを描いたものだ。
もうお分かりだと思うが、文中に出てくる「分譲アパート」こそが池田の住んでいたマンションだ。
さらに次の文章もお読みいただきたい。
「アメリカ留学から帰ってきた30代のはじめ、江藤は市谷に建ったマンションに住むが、
そこの住人が組合を作ったとき、江藤はその世話人を買って出て、
マンションを他に売却しようと考えているオーナーと真向うから対立することになった。
そのときの江藤は、まるでこれからリングに上がるボクサーのように昂奮し、その交渉事を楽しみにしている様子だった。彼の喧嘩好きが天性のものであることが分かろうというものだ」(「人間江藤淳」諸井薫、『新潮45』掲載論文より)
そう。同じマンションに住んでいた高名な文芸評論家は、類まれな正義感で、類まれなケンカ好きだったのだ。
すでに予想されているかもしれないが、池田はさっそく江藤家ともめごとを起こすことになる。
引っ越してきて間もないある日、父親の実さんが池田の部屋に荷物を届けにやってきた。
重い荷物ゆえ、マンションの玄関付近に愛車のポルシェを横付けして荷物を運んでいたところ、
やってきた車が何度もくり返しクラクションを鳴らす。
荷物運びの途中なのに、と池田が怪訝そうに見ると、しかめっ面の運転手は案の定、江藤氏の妻・慶子さんだった。
「そのときは引っ越してきたばかりで、彼女が文芸評論家の江藤さんの奥さんであることは全然知らなかったんです。
入居してから何度か顔を合わせてはいたのですが、コッカースパニエルを飼っていて、
上流階級風を吹かせてるオバサンという印象しかありませんでした。
他の住人たちと話す彼女の態度はマンションの管理人さながら。
表には出しませんでしたが、そもそもあまり好きなタイプのオバサンではありませんでしたね。
クラクションを鳴らされたときは、こちらも荷運びでやむをえず、マンション前に駐車するしかなかったんです。
なんの説明もなく、いきなりクラクションを鳴らされたので、ムカついて爆発しちゃったんです。
『うるさーい!!、クソババア』
さすがにひるんでました。
こんなことは大きな声で言えたことではないんですが、イバりちらす女性は"淋しい"と思います。
あの事件のあとで、彼女が高名な江藤淳さんの奥さんだと知りました。けど、今でも私は正しかったと思っています」
当時医学部生で、江藤氏が同じマンションに住んでいることを知っていた兄の泰彦さんは、
この話を聞くやいなや妹の無礼を謝罪するために江藤氏の部屋を訪ねたという。
理性ある人だろうからきちんと謝れば許してもらえると思っていたに違いない。
ところが怒気とともに返ってきた言葉は予想外のものだった。
「アンタのところの親御さんはどういう教育をしてるのかね」
 池田は泰彦さんにこっぴどく怒られたようだが、江藤夫妻の短気さも大人気ない気がしないでもない。
どっちもどっちだが、池田のいうことに共感できるところがあるのは確かだし、
"インテリ気取り"には屈しないという一貫したスタンスは、彼女の大きな魅力だ。
 付け加えておくと、日本を代表する文芸評論家・江藤淳夫人の人生のなかで、
彼女を「クソババア」と呼んだのは、おそらく池田優子ただ1人だったことだろう......。