このLOVEHEARTS STORYは、院長池田優子が、その生い立ちから医師としての道を歩むまでの紆余曲折の半生を、ノンフィクションライターが綴ったものです。 2002年に発刊された本ですが、多くの女性に勇気を差し上げることができればと思い、ここに掲載させていただきます。

ちいさな青春日記

中学を卒業してから池田が書いた、小説風の日記がある。
些細なできごとを連ねただけのものだが、内気な模範生徒が外部に目を向けはじめる様子がよくわかるので、
長くなるがここで引用させてもらおう。

某月某日
わたしの友人たちもまた越境入学者であった。
1人は片道30分の電車通学をしてくる歯医者の娘で、背が低くてウサギのような可愛さをもったチコという子。
もう1人はチョと同じ地区に住んでいて、父がエリートサラリーマン、母が華道の先生をしているマキ。
彼女は同じクラスではなかったが、チコの友達で、一緒に帰る仲間として仲良くなった。 帰り道はいつも3人いっしょだった。
マキはおマセで話し上手な子だった。
チコをことあるごとにおちょくりの標的にして楽しんでいた。
チコにしてみれば、あまり面白いことではないだろう。
おちょくられるたびにわたしに助けを求めてきたのだったが、
そんな甘えたところがマキの心を刺激するらしく、さらにおちょくられるという繰り返しだった。
わたしたち3人は毎日いっしょにターミナルステーション(駅)まで帰っていた。
ターミナルでわたしと彼女たちはそれぞれ別の路線に乗り換えねばならないので、そこでバイバイということになる。
当時はどちらの路線も30~40分に1本しか電車が来ないので、
時間待ちの間はターミナルのビルで小物類の品定めをするのが常だった。(中略)
わたしがこったのは、コートの衿につけるミニプローチ。
アルファベットをあしらったものがお気に入りで、
ガラス製、シルバー製など、際限なくいろいろ買い集めて満足していた。
なかでも「N」型のそれがお気に入りだった。
というのも、わたしは小学6年生のときにはじめて自分で選んでレコードを買ってみたのだが、
それは歌手の野口五郎さんの「青いリンゴ」だった。
それ以来、彼のイニシャルである「N」を衿につけることにより、
なんともいえないひめやかな充実感と幸福感を味わっていたことが、
今もなおレモンのような甘酸っぱい記憶として胸のなかに残っている。(中略)
夏に学校のある駅からさらに2つ先の駅でラジオ番組の公開録音があるという噂を聞きつけ、
チコとマキの3人で出かけたことがあった。
それは生まれて初めて親ナシ友達同士でのお出かけだったからよく覚えている。
着ていった服は若草色でギンガムチェック模様のワンビース。手には花束。
もちろん番組レギュラーの野口さんに手渡すためのものだ。
その日のゲストはアイドル歌手の浅野ゆう子さん(現在は女優)。
ミニスカートをはいて歌っていた浅野さんの足の長さに感心した記憶がある。
しかし、ほとんどの観客のお目当てはレギュラーの野口さんただ1人。
浅野さんが歌っていても「前座」のような雰囲気が漂い、会場中がソワソワしている感じが伝わってきた。
今か今かと待ちわびていると、突然会場いっぱいに割れんばかりの歓声がこだまする。
我に返ると舞台に生まれてはじめてじかに目にする野口さんがいた。
ああ、こんなにも多くの人がこの人のことを好きだったのか。
目の前の事実に、あらためて彼の人気のすさまじさを思い知った。
気づくとさっきまで隣にいたはずのマキとチコ......
ふだんは理路整然、冷静沈着なマキが、そしてふだんはおとなしいチコが、
ステージ前に殺到するファンのなかでもみくちゃになりながら花束を差し出しているではないか!(中略)
学年が変わりチコともクラスが別になった。
そのころから、わたしはクラスは違うが、"熱狂的野口五郎ファン"を自称するママちゃんと近づいていった。
彼女とは学校帰りに話がはずみ、
しばしば学校から少し離れたところにあるラーメン屋やうどん屋に立ち寄るようになった。
あのとき食べたアツアツの醤油ラーメンやカレー南蛮うどんの味は忘れられない。
あのラーメンとうどんこそが、親と離れて食べたはじめての外食の味だったから。

気の合う友人たちの存在が、池田の世界を少しずつ広げていった。
そして、他人に対する興味に抗うことができない自分に気づいたとき、
彼女はそこまで歩んできたエリート人生にみずから別れを告げるのだった。